1_D1T5133

2_D1T5122

3_D1T5118

4_D1T5116

5_D1T5125

6_D1T5127

7_D1T5129

8_D1T5131
photo:Tada(YUKAI)


2015年12月27日(日)をもちまして、
dragged out studioでのただ 写真展「anonymous scene」は終了いたしました。
おかげさまで多くの方々にご来場いただくことができました。
心よりお礼申し上げます。

2015年12月18日(金)より、
ゆかい所属作家、ただの最新作の写真展「anonymous scene」を開催いたします。

年の瀬の慌ただしい時季かと思いますが、
みなさまお誘い合わせのうえ、ぜひ足をお運びいただければと思います。

tada_anonymous
©TADA 2015


人間の目、網膜は中心部だけが解像度が高い。
はっきり見えるている部分は角度にしてど真ん中より2度くらいで、その他の部分は「見る」というよりかは「感じている」くらいにしか認識していないのだそうだ。
例えば運転している時、瞬間的にカーナビの画面を覗くことがあるけれども、同時にぼんやり眺めているつもりの前方は実はほとんど見ておらず、脳が勝手にシュミレートしているだけ、なんだとか。

一方でカメラはといえば、解像度は全画面に均等に分布しているし、シャッターの指示に従って正確に目の前を写し取る。人間の眼球に例えられることが多いけれども、脳みその勝手なシュミレートや個人的感情によるバイアスもないし、どんな気持ち、どんな意図があろうとも、当たり前だけれども機械には関係のないことで、素直に淡々と絵を吐き出してくれる。
だからいかに体調が悪くても、前日に財布を落とすくらいのショックなことがあっても、ケロッと素晴らしい写真が撮れたりする。もちろんダメな結果の方が往々にして多いけれども。

カメラはあくまで撮影者にとっての外部装置というか、意図を持って撮影していようがいまいが、写真が写るという仕組みそのものには手が出せなくて、自分の作品を作っているにもかかわらず絶対に管理できない領域があるのが、とてもユニークだと思う。

ここに並ぶのは私が眺めた風景たちだけれども、そういう正確な意味では私が見ていたものとは違うわけで。
そんな写真がたくさん詰まったハードディスクを前にして、山のような写真たちが自分自身の事を正確に描き出してくれるのではなく、もう少しとっちらかって困惑させてくれたらおもしろいのになあ、と思ったりする。

ただ


ただ 写真展「anonymous scene」
会期:12月18日(金)~ 27日(日)※会期中無休
時間:12時ー20時
オープニングレセプション:12月19日(土)18時ー20時
入場料:100円(運営に対するドネーションとして)